September 15, 2010

喪失感のカタチ  濱崎道子書展「―空と祈り―KU&INORI」@銀座鳩居堂画廊




 日付変わってきのう、去年6月の韓国取材以来、節目でお会いしてきた書家・濱崎道子先生の展覧会へお邪魔しました。銀座鳩居堂画廊で19日まで開催中です。

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 先生はいわゆる「書」とは異なる、非文字性、あるいは甲骨文字まで回帰するプリミティブなアプローチを得意とされています。とはいえ、名門・東京学芸大学書道専攻ご出身で、もとは学校の先生。古典の基本は当然押さえられており、その上での革新を求める書風です。先生ご自身、いつもにこやかで元気よく、かっこよくて素敵なおばあちゃん、といっては失礼ですが、まさにそうした方です。世界各国を股にかけ、草の根の日本文化交流に尽力されています。来月も渡米されるとのこと。

 しかし、きのうの先生の作品の様子は違いました。去年から体調を崩されていたご主人が、ことし春の南米旅行から先生が戻られてから1週間後に亡くなられたそうです。もちろん看病の日々があり、お見送りがあった。ですから、今回の展覧会に出品された作品は7月以降、ようやく取り組まれた作品だったと話されていました。

 作品自体は、軸物で正統な草書あり、得意とされる甲骨ありで、その上で文字性から解き放たれた霊感あっての作品が並びます。支持体も通常のものから洋紙、精製されていない和紙と様々。「空」「祈り」「いのち」などのタイトルが複数の作品に共通してつけられ、個々に独自の造形が展開しています。それらの作品の前に立つとき、ただただ伝わってくるのは「喪失感」。文字の、墨の黒の向こう側に、悲しみの暗渠を視るようでした。

 個人的な悲しみをそのまま言葉にして、文字にして作品にすると第三者には理解の、共感のハードルが高くなります。むきだしの、直截的な感情表現は「書」には馴染まない。が、先生の作品のようにテーマはシンプル、しかしその造形性やメッセージ性が込められると、物言わぬ書が、制作者の悲しみを雄弁すぎるくらいに語りだすのです…


 僕は書の専門家ではないので、こうした作品の前に立って饒舌に評する能力はありません。ただただ、先生の作品と悲しみの谷を共に歩む気持ちで、言葉を失いました。「喪失感」が姿をなすとこうなるのか、と。でも、アーティストはこうして思いを作品に昇華し、そこで整理をつけるのではないでしょうか。今回の個展の真摯な力が、また先生を次への創作へとその背中を押すのでしょう。僕は静かに、次回作を刮目してお待ちします。










reversible_cogit at 00:49│Comments(0)TrackBack(0)ドキュメント | 展覧会

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